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身の回りのものは全て人間の頭の中を具現化したもの
石器などの道具を作り始めて以来、人類はその時代その時代に生きた人が頭に想像しているものを形にしてきたと言われます。逆に言うと、想像しなかったものは、世の中に存在していない、とか、形にできそうな大したことないもの”しか想像してこなかったと言い換えられるかと思います。そう考えると、現代の私たちが今思いつく突飛なアイデアがあったとしても、それは100年後から見たら古臭く感じることでしょう。
頭の中のイメージやアイデアを具現化する設計という仕事においても、自分が頭に描いていることは、しょせん大した事ないことなんだとある種開き直っているといい設計ができたりするもので、ゴリゴリに難しく考え込むといいアイデアは何も浮かんでこなかったりします。
特許は意外と大したことのないアイデアであったりする
特許というと一般の方はどのようなイメージをお持ちでしょうか?とてつもなくすごいアイデアを思い付いた人が取得するもの、とか、アイデア商品で一攫千金を得た人の話とか、とにかくスゴい閃きに対して特許を取得するものだ、と思われているかと思います。
ところが、企業に勤めている人で特許を出願したことがある方なら、誰しもが口をそろえて言うのが、”特許申請なんて大したことのないアイデアで出されることが多い”ということです。中には青色発光ダイオードのように、世界を変えるような発明はありますが、そんなアイデアは特許庁に出願される特許のうち、ごくわずかだと思います。
しかし、その大半を占める大したことのない特許の積み重ねが、将来の企業の利益確保に貢献することになります。だからこそ、貢献度が高ければ高いほど、特許が切れる20年後に多大な損益を生じてしまうジェネリック医薬品という世界もあります。特許が切れたら、一斉に後発メーカーが製作・販売を開始し、本家本元のメーカーのシェアを低価格で奪っていくのです。特許が切れて間もなく倒産に追い込まれるというケースも製薬業界ではあり得る話となります。
そうなると企業の利益だけでなく、国の利益にも関わってきます。特許出願件数がそのまま国の技術力を数値化する一つのバロメーターになるとして、特集される記事を見る機会もあるかと思います。
本当にすごい発想はひっそりと商品の中に潜んでいる
大したことないアイデアが特許となるのに対して、特許になるような新規性はなくとも、すごく悩んだ結果すごくいいアイデアが思いついた、というような部分は誰にお披露目されるわけでもなく、ひっそりと身の回りの商品の中に潜んでいるものです。目の前にあるスマホやマウス、ボールペン、時計など誰かが設計しているわけで、その誰かの魂のこもった発想が含まれていると想像するだけでワクワクしてきます。
私は機械設計の中でもデスクトップとなるような商品を扱うことが多いのですが、橋やビルディングといった建築物であったり、スマホのアプリであればプログラミングの設計においても、作者渾身の何かが詰まっているものだと思います。
もっと広い意味でいえば、映画や音楽といったジャンルのモノづくりにも、製作者のこだわりというものが含まれていて、それは必ずしも使用者や視聴者が全く気が付かない、ひっそりとした部分に宿っているのではないかと一人想像してはほくそ笑んでいます。
ハードは見たらパクられるは半分本当で半分うそ
日本の技術はパクられてしまっているとよく言われますが、目に見えるものは真似して作れてしまうのは当たり前。だからこそ特許というもので権利化しておきましょうというのが、世界共通のルールですし、絶対に真似できないというのであれば権利化せずに市場を独占すればよいだけの話です。
また、設計図をパクっても、製作におけるノウハウを有していなければ、例えパクられても全く同じパフォーマンスはできない、というのも一理あります。同じレシピでも食材が違えば味は変わりますし、料理人が異なればそのこだわりが見た目や味となって表現されるのと同じようなことが言えるでしょう。
日本のお家芸復活を夢見て
私が設計者を志して就職活動をしたころは、NHKのプロジェクトXなどで日本のモノづくりが世界を席巻したエピソードがよく紹介されていました。あの熱いドラマを経験したく、自分もいつかはプロジェクトXに取り上げられるような仕事をしたいと夢見たものです。
ところがこの20年、世界に対する日本のモノづくりの影響度は下がる一方です。鉄砲伝来の頃、いやそれよりもずっと昔から受け継がれている日本人の特徴、新たな発想には乏しいが改良を加える能力こそ、これからの時代に花を開かせるべきだと感じています。その一端を担えたら、というのが45歳定年制に対する私個人の夢となります。定年イコール引退ではなく、そこからがスタート、そういった気持ちでブログを書き続けようと思う今日この頃であります。