趣味・生活

介護世代に突入、親の闘病に直面して

昔々おじいさんとおばあさんがいました

誰もが知っている昔話の決まり文句、昔々おじいさんとおばあさんがいました、というくだりについて、こんな話をきいたことがあります。

昔話の作者は不明が多く時代もまちまちだけれど、どの時代においても、それなりに地位や知識がある人が書いていると推測され、となると大体が子供のいる人が書いていると推測できます。そんな成人にとっては年寄りも子供も不思議な存在で、自然とお年寄りと子供が対象の物語を作ってしまうのだ、といった趣旨の話です。

この話を聞いたときは学生時代で若かったこともあり、ふーん、そんなものなのかな、怪しい見解だなと思う程度でした。しかし、私も人の親となり、じじばばと孫、つまり私の子供たちと両親が遊んでいる様子を見ていると、幸せを感じると同時に、何とも切ない複雑な気持ちを抱くようになりました。

それは、もう長くは生きられない両親と、成長すればいつまでも可愛い子ではなくなる子供たち、彼らと私の関係がこのままであってほしい、時が止まってほしい、と心から湧いてくる感情になります。こういった感情に包まれながら昔話は作られていったのだろうと、”昔話におじいさんおばあさんと子供が出てくるのは、作者が子供を持った親だから”の説を、今では妙に納得しております。

共感ではなく希望なのか

コロナでなかなか実家に遊びに行けなかったのですが、去年はGWもお盆も子供たちを連れて泊りに行くことができ、一緒にカードゲームをしたり買い物に行ったり、楽しい時間を過ごすことができました。次は年末年始だね、と言って後部座席からバイバイしている子供たちと、小さくなっていく両親を運転する車のバックミラー越しに見ながら、このままでいてくれたら、この子たちが高校生になるくらいまでは父も母も元気でいてくれそうだな、そんな風に思っていました。

そう思っていた矢先、「健康診断の結果、じじが手術することになったのよ」 と母からLINEが届いたのが10月でした。大した事ないから、と言っていたものの病名を聞けば直腸がんとのこと。今年で80歳になる父なので、がんとは言え進行が遅いというのは私にも分かりますし、手術してもしなくても、どの道あと5年も生きれば十分というのが最初の感想でした。

すぐさま兄にも連絡を取り、リモートで話し合い、ひとまずは先生の指示に従うことにしようとなりました。直腸の摘出手術です。当初は2週間の入院の予定でしたが、術後の経過が芳しくなく、人工肛門の施術も追加で実施することになりました。結局、コロナで面会もできないまま、約1ヵ月の入院生活となり、結婚50年にして初めての別居生活で悲しいよ、と気落ちしている母に毎日LINE電話で励ます日々でした。

退院後の父は手術前の面影はなく、脇腹にストーマという人工肛門をぶら下げ、目が落ち込み、いかにも弱り切った老人でした。弱り切った父に落ち込んでいる母、私は二人に対して、一生懸命に励ましの声をかけました。父にはけつの穴の一つや二つどうってことない的な言い方で発破をかけ、母にはきっと回復するから大丈夫だよと、良かれと思って色々と工夫をしてみましたが、逆に口喧嘩になってしまったり全然励ましになりませんでした。

そんな時、兄がボソッと、俺たちは人工肛門を付けたこともないし、パートナーの看病もしたことがないから、本当の意味での当事者の気持ちはわからないから、そこは二人で受け止めて前を向いてほしい、と言いました。

同世代の職場同僚や友人と、話せば健康と親の世話の話ばかり。あいつの親父さんもがんで手術したらしいとか、脳梗塞で倒れたとか。。。

ついつい、状況も環境も違うのに変に共感してしまったり、より病状の悪い人の話を聞いては、うちはまだまし、と思ってしまったり、家族が不健康になると心まで不健康になってしまいがちです。

闘病生活に共感を持ち込んで励ました気になるのは、自己満足でしかなく、当事者にとっての元気の種は小さな希望をもつことだったりするのだと思います。簡単に気持ちわかるよ、何ていうのは無責任、勇気と希望をもって前に進むように励ますこと、そして自分自身も行動をしてその姿を見せること、これが一番喜ばれることなのだと気が付きました。

できる限り長生きを

時が止まってほしいとは思うものの、時間は全人類に平等に与えられたもの。そう長くはない両親との時間を大切に、親孝行もできる限りやっていこうと思います。

よくコロリと逝ってくれたらと言われていますので、私も両親に対してそうなってほしいと願っていましたが、闘病生活を経験し、別れのタイミングに備えて準備をするのも悪くはないと思えるようになりました。

この年になっても、小さいころにじいちゃん・ばあちゃんに語ってもらったこと、言い聞かされたことを覚えています。それが人生の道しるべになっている言葉もあります。是非とも両親にはいつまでも長生きしてもらい、私の子供たちが大人になっても忘れないような話をいっぱい聞かせてあげてほしいと願っています。

100年時代を生きる決意

平均寿命が延びているのに加えて、ワークライフバランスなるものも叫ばれているこの時代は、明らかに父母が生きた高度成長とバルブとは異なります。まして、失われた30年とも違う新たな時代が数年後に訪れるはずです。定年後、10数年のんびり過ごして、最後に闘病して死ぬといった路線は親世代で終わりになるのではないでしょうか。

我々世代では、80歳前後では余裕で働ける体力と知力がある気がしていますし、定年まで一つの企業に勤めることや、年功序列型の縦型・ピラミッド型の会社は減っていく傾向になるでしょう。そうなる前に準備をして、自主的に45歳定年制を設けて、これまでとは違う路線へ勇気をもって踏み出していくことに決めました。自分の人生を主体的にするために、ある種の実験をしている感覚で行動していきたいと思います。

ABOUT ME
ゆうため
1978年生まれ 首都圏出身 地方都市在住 技術者として一部上場企業で20年勤務 独立めざして中小企業へ転職 コンサルティング会社からロボット会社を経て起業独立