ブログ、ライターで学んだこと
20年もサラリーマンをしていて、その大半を開発部門に所属していたら、忘れてしまうスピリットがあります。
それは、民間で働く以上は、お客様ありきの商売である、ということです。
どの分野の人でも、開発部門にいると、
・こんなもの開発してもどうせ売れない
・1回だけの特注品でリピートがなければ開発しても意味がない
・お客の言いなりになっている営業だから困る
というような会話を聞いたり、自ら口にしたりしているのではないでしょうか?
できない症候群にかられるのは、日本人特有とも言われますが、中でも開発部門の人はその最たる部類であると感じています。
元をたどれば、理系と文系に分かれて教育される制度に大きな問題があると、個人的には考えていますが、とにかく技術系の人は、プライドが高いというか技術だけを磨いていけば商品が売れると思い込んでいる節があります。
いや、むしろ技術が高いなんて思っていなくて、「文系出身の営業が商品を売ってこい、私たちは技術開発に専念しますから」という何とも高飛車な考えでいる人が多い気がしてならないのです。
20年務めた会社を辞めるきっかけの一つが、ブログやWEBライターを経験したことで、WEBマーケッティングなるものを知ったことです。
誰の、何の悩みを解決して収益を上げるのか、という市場におけるシンプルな定義をSEOを通じて知ることができたからです。
技術者として長く働いてきたつもりでいた私にとっては、再認識したというか、衝撃を受けたというか、20年間抱いていた違和感がこれだったのか、と妙に腑に落ちた瞬間でもありました。
誰の、何の悩みを解決するために、自分の知識や経験を活かして、提供して、収益に上げるのか、シンプルにそう考えたときに、もう会社を辞めなくてはいけないと焦りを感じました。
技術開発系の日本企業の危うさ
いわゆる大手企業を辞めて中小企業で働いてみると、日本企業の危うさを感じずにはいられません。
それは、理系出身の技術者が変なプライド意識が高いことと、商売や飯のタネをあまりにも意識せず、単に技術者でいること、への違和感でもあります。
とにかく、理系に進んでおけばくいっぱぐれはない、という高度成長期から今に至るまで言い古された言葉にそれが凝縮されているのではないでしょうか?
くいっぱぐれない、というのは、自分の仕事で誰かが価値を感じて対価としてお金を支払うことです。理系出身であることに価値を感じてお金を支払っているのではないのです。
かくいう私も、設計者としての仕事を誇りに感じて、崇高な仕事をしていると勘違いしている時期がありました。
自分がやっている仕事は、先輩方が築いてくれた道の上にあって、価値をお客様に伝えてくれる営業がいて、伝票処理やら顧客サポートをしてくれる部門の人がいて、というは知っていはいましたが、深く理解することはできていませんでした。
勘違いしてはいけないのが、お客様から対価をもらっているということを理解しているのであれば、崇高な仕事として、それに没頭して突き進むことは、よいことです。
いわゆる職人のようにスキルを磨くことは、日本のレベルアップにつながると考えているからです。
日本企業が危ういと感じるのは、にわか技術者が大手企業のなかで出世という、日本企業独特の年功序列、終身雇用の精度の中で、出世をして満足してしまっている状況を指しています。
出世をして満足という点では、技術系に限ったことではないかもしれませんが、とにかく日本の大手企業に勤めていたら35歳を過ぎたあたりから、妙に自分の会社内での昇進や出世のことが気になり始めるというのは、誰しもが経験していることかと思います。
自分の経験や技術、知識をお客様の悩みや痛みを和らげるために、貢献しているか、この一点で価値を考えるべきだと考えています。
理系出身の優秀な日本人の大半が、お客様とは関係ない社内の上司や関係者のことばかりを考えて仕事をしているという状況は危機的状況と感じるのです。
作れば売れる時代に、大きな組織を動かすためには、ピラミッド型の体制が有効だったのかも知れないですが、未来永劫そんなことが続くなんて、なんでそう思うのでしょうか?
いや、やばいよ日本と気が付いていても、それは自分以外の誰かが解決すればよい話、自分は十分な給料をもらえてさえいればいいのだ、と思っている人が大半なのかも知れません。
世の中に役に立つ仕事、自分が楽しいと感じれる仕事、そんなのは、十分な給料とそれにみあった役職があれば、多少はつらいことも我慢するぜ、というのが本音のところだと思うしかないのです。
確率と運の問題
お金と地位さえあれば、人間はある程度のことは耐えて仕事ができるものと理解しています。私はそれが苦痛でしかないと感じたので、大手企業、年功序列、終身雇用という道筋から飛び出すことに決めました。
もう少しなのか、まだまだなのかはわかりませんが、日本の大手企業は、年功序列と終身雇用が大原則で社員を雇っているという状況は続くでしょう。
NTTやパナソニックなど改革を進めている大手企業も増えていますが、階層はそれぞれ違っていても、ある程度のピラミッド構造の組織体制は残っていますし、何より現場を改革しても、上層部が生き残っているからです。
だとすると、年功序列の終身雇用で大満足できるのは、出世競争を勝ち抜いた一握りの人しかいなくなります。大半の人は、40歳過ぎて定年が見えてきた段階で、出世をあきらめて職人として働く決意をするもと言えます。
これは、理系文系関係なく、日本社会で常識となってしまっている事実なのだと思います。
一部の人は、収入と肩書に満足して、仕事はつらいものだ、楽しいものではない、と自分に言い聞かせて働いていることでしょう。自分に言い聞かせるだけならまだしも、部下にも諭すようにマウントを取っているのです。
仕事は楽しく、やりがいのあるものだ、そう胸を張って言えるのは、事業主や中小企業の社長だけではないでしょうか。
だから、私は20年働いた会社に見切りをつけて、残りの社会人人生でどのように自分の知識を他社へ貢献できるのかということを真剣に考えて、中小企業で働く決意をしたのです。