「独立したきっかけは?」と聞かれることがよくあります。
元々、20年以上前の学生のころから独立志向があって、独立のために大手企業を退職して中小企業へ転職したのも独立を視野に入れてのことだったので、これと言った大きなきっかけは残念ながらありません。
細かいきっかけとなる出来事は、振り返ってみればあるのですが、その中でも「よし、もう独立しよう」と決心したエピソードを紹介します。
出世をあきらめたのかの自問自答
大手企業で働いているときには、出世は遅い方でした。
しかし、エンジニアの出世はどの企業でも遅めであることを考慮すれば、手遅れな状態でもなかったですし、可愛がってくださる上層部の方も何人かはいらっしゃったので、昇進プログラムに申請して研修を頑張りさえすれば、それなりの道は残っていた状態ではありました。
しかし、組織の中で管理職に上っていけば行くほど、組織内調整は増えていくことに疑問を感じていましたので、すっぱり辞めることに決めました。
この時点では、多少は未練や出世へのあこがれはあったのかも知れません。現に今でも「上司や上層部に憧れる人がいれば辞めずに残っていた」と思っています。
中小企業に行けば、年齢と経験を考慮してもらえれば、それなりのポストを与えられるという淡い考えがあったのも事実です。
次の会社は40人程度の企業でしたが、この程度の規模の企業で、かつ創業者が社長の場合には、ほぼワンマン経営となります。
どこまで出世しても雇われの身には変わりはなく、よほど面倒見のよい社長で男も惚れるような人柄でない限りは、ついていくのは難しいな、と感じていました。
事情があって、その会社も1年足らずで辞めて、最後に30人程度の企業に転職するのですが、その時には完全に「この企業を辞めるときには次はなく独立しよう」と決めていました。
①副業の収入がある程度見込めるようになったら独立する
②中小企業診断士に合格したら独立する
この2択をもって最後の企業で働き始めました。
副業や試験勉強には時間の確保が必要なため、その時間の妨げにならない業務をするためには、「平社員」でいることが大切で、そのために役職をもらわないように努めていました。
きっかけは配置転換
そんな中、これまでの経験や実績を考慮いただいてなのか、営業職で採用されたのにも関わらず、兼任で研究所に配置転換していただきました。
さらにその後、役職も与えていただいて、いわゆる昇進を果たしたのでした。
まだ、上記の①②はどちらも達成していない状況なので、独立するわけにはいかないはずなのですが、配置転換からの昇進、この一連の流れの中で初めて、「すぐに独立しよう」そう決心したような気がします。
つまり、肩書や組織にいることの安心感などよりも、「自分の時間を大切にしたい」そう直感的に感じたのだと思います。
そこからすぐに開業届を出して、政策金融公庫に創業融資の相談をする準備に取り掛かったのです。
きっかけ以上に大切なのは準備
40歳を過ぎてからの独立は、経験や知識というアドバンテージはあるものの、「応援や支援をしてもらう」という断面では、20代の起業家に比べると不利になります。
サラリーマンとして働いていた期間が長ければ長いほど、独立に必要な情報からは遠ざかってしまいますので、融資一つ受けようと思っても「いい年して、そんなことも知らずに独立するのか」と融資を断られてしまうことは目に見えています。
かと言って、副業で一発あてるほど中年サラリーマンは時間を確保できませんし、家族を持っていたり、管理職をしたりしていれば、なおさら副業で稼ぐのは難しいでしょう。
藁をもつかむつもりで、創業融資に走ったのですが、もし私と同じような年齢から独立を検討されるのであればおすすめする方法の一つです。
住宅ローンに加えて、さらに事業で借金をするのか、と思う人も多いと思いますが、おすすめする理由は以下の2点です。
- 事業計画を立てることによって、独立に必要な情報や知識を身につけられる
- 第三者のしかも多くの融資先を見てきたプロに自分の事業を判断してもらえる
これを実行しようと思ったら、それなりに調べたり、中長期の事業計画を練る必要があるため、すぐにできる人は、そうはいないと思います。
私の場合、2年程度の準備期間が必要でしたが、これが20代となれば、若さという最大の武器で準備期間がなくても、支援いただける人がいるので、やはり独立をするならば若ければ若いほどよいと考えています。
いずれにしても、40歳からの独立を検討している場合には、よほど何かがバズらない限り、抜け道はないと考えていまして、となると王道は「事業計画を立てて、それ相応の支援機関にて事業判断をしていただき、開業をする」という道になるかと思います。