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2日目 全部自分で決めよ

持ち帰って検討しますはNG

10:00 近所の駅でHP制作会社の担当者と待ち合わせることになっているが、その一時間前に一本の電話が鳴る。

出てみると、「今日、予定しておりました面談担当者が体調不良となり急遽上司の私が参ります」ということであった。

こちらとしては、そもそも誰が来てもいい状態だし、営業経験者から言わせてみれば、「担当交代なんて言わなければバレない」である。

時間通りに、若目の営業係長が改札を出てきた。近くの喫茶店にいってご挨拶。電話先からも感じられる、律儀なタイプの方であった。

午前中で、周りには老人と、静かに仕事をしている社会人と、勉強している学生で、席は8割がた埋まっていた。

奥の方の2人席に座って、名刺交換したらすぐに商談にはいるのだが、向こうは律儀な若者、明らかに年上の私がリードして話を進めよう、そう思った。

軽くアイスブレークして、事業の紹介をしながら自分のバックグランドも話しつつ、3分~5分くらい、周りに気を使いながら、こちらの思いを伝えた。

なんせ、律儀でよいしょしてくれる営業の方だったので、気持ちが良かった。

何よりも、自分のやってきたこと、これからやろうとしていることに、「理解」して、「称賛」してくれて「応援」してくれていることが、マスク越しの表情からも分かった。

たまに咳き込むので、体調も悪い中、部下のドタキャンをカバーするために遠くからやってきてくれたのだな、そう思った。

向こうのサービスを聞く、ブログをやっていたこともあり、HP制作といっても、高度なプログラミング技術は必要なく、ネットに落ちている情報を拾いながらやれば誰でもできることであるのは、私も十分理解していた。

では、この制作会社は何者なのか?そんなことも全く知らずに面談してしまっていることに、我ながら笑ってしまうが、聞けば、ポケットWi-Fiを手掛けるあの会社が、コロナを機に事業展開した部門であるとのこと。

どこかの、コロナキットを販売したWi-Fi業者とは違い、関連した事業での多角化をしている会社である。そう考えると、この会社に任せてもいいかな、そう思い始めていた。

わかったわかった、では価格はどんなものだ?と聞くと、本来であれば60万円のところ30万円でやりますよ、と言っている。

「いったん持ち帰って検討します」サラリーマン時代のいつもの口癖で、そう言ってしまいそうなところをコーヒーで飲み込んだ。

「持ち帰っても一人で何を考えるのか?決めるのは、代表の俺だ」やるやらないどちらにしても、その場で、即決しないといけないな、話しながらそう思っていた。

HPを依頼することで一つ荷が降りる

結局、この制作会社にお願いすることにした。

・部下のドタキャンをかばって来ているのだから受注させて花を持たせてあげたい

・元々自分でHPを作ろうと考えていたが、その手間が省ける

・自分でHPを作るよりも色々とアイデアが出てくる可能性はある

・お互い野球部出身ということで親近感が湧いた

・個人事業主を相手にHP制作を展開しているということで仕事を紹介してくれそう

・一件でも注文をもらえたら30万円は回収できる

そんなことを思って、その場でお願いすることにした。後で支払方法についてメールするとのこと、また二日後の木曜日に詳細打ち合わせに来ます、ということで別れた。

一つ荷が降りたことで、優先を上げていくのは、人と会うことだ。

マッチング、交流会、ちょっと調べると、世の中に色々とあることは理解できた。マッチングアプリで仕事を取ってきている個人事業主もいるということも、身近な意見で聞けたので、これしかないと思った。

人にさえ会えば、会話でやれることを伝えることはできるが、見た目的にHPやチラシは必要だろう。だからこそ、HPに対して、高額支払をしたのだ。そのジャッジは間違っていない、そう思う

ロボット購入

もう一つ、決断しないといけない高額支払がある。それがロボット購入だ。

既に35万円でHP制作をお願いしてしまっている。

それに対して、ロボットは66万円、税込みで72万円だ。

こいつは、仕込み品なので、購入しても商品在庫として計上されるから、資産としては残る。売りさえすればいいのだ、と考えると前向きになる。

一方で、700万円の開業資金に対して、早くも100万円以上を使ってしまう恐怖が、背中の後ろから襲ってくる。「何なのだこの感覚は!?」

不安を払拭する考え方も、この2年で色々と研究してきたが、答えなんてなく、結局今できることを精一杯やる、これしかなくなるのだ。

ABOUT ME
ゆうため
1978年生まれ 首都圏出身 地方都市在住 技術者として一部上場企業で20年勤務 独立めざして中小企業へ転職 コンサルティング会社からロボット会社を経て起業独立