意図を汲みとって精一杯の対応
画像カメラと家電サポートの案件も動いているが、さしあたりは設計案件を遅らせてはいけないと捉えていて、特にロボットアームについては要元も焦ってきているとあって、こちらも気になっていた。
しかし、お客様の要望としては、先日、現場にて測り取りをした食品加工設備用のアクリルカバーの設計を急いでほしいということであったので、昨日から進めているところだ。
今日もまだ平日であったので、問い合わせが来ると思っていたが、気を使っていただいているのか、一度も外部からの問い合わせが来ることなく、空いた時間には集中して設計作業を進めることができた。
何とか、明日の午前中には図面とリストをまとめて提出ができそうだ。
合計で10時間足らずで終わるタスクではあったが、仕事を受け取ったのが水曜日ということで、ロボットハンドがもう少し落ち着いてから対応する形でも良かったような気もする。
詳しくは分からないが、お客様とそれぞれの要元の企業とのやり取りやこれまでの関係性、今後の付き合い方など、色々と思惑があってのことだろう。
こちらとしては、あくまでも仕事はお客様よりいただいているので、その先の要元については、コミュニケーションはとっていくものの、優先順位やコスト、納期についてはお客様を抜きに対応しないように注意しなければならない。
人生の先は見えても事業は見えないから面白い
36歳差の父が他界した瞬間に、なぜだか自分の人生の残り時間もあと36年と勝手に思い込んでしまっているのだが、その先も生きながらえるとしたとて、現役で事業活動をしているのは80歳くらいまでではないだろうか。
そう考えるとあと30年が現役の期間であり、その間にやりたいことは全てできることに変換して実行していきたいと思っている。
寿命を考えたらあっという間の30年とも思えるし、しかしやりたいことを全て実行していくと考えたら30年もあれば十分すぎるとも思えてくる。
サラリーマンとして定年を迎えるという喜びや達成感を味わうことは捨てて、独立したからこそ、限られた人生においても前向きに目標を立てられるようになった。
先の見えない事業活動に恐れずに、一歩一歩目標を立てて前に進めるようにしていきたいと、父の死を持って改めて湧いてきた感情である。
今にも声が聞こえてきそうな不思議な感覚
特に背中を魅せられて育った訳でもなく、どちらかと言えば反発して人生の選択をしてきたつもりであるから、そこまで父親に対して思い入れがないのも事実で、加えて長い闘病生活でこの日が来ることを覚悟できていたということもあって、悲しみはほとんどない状態だ。
ただ、もう少し長生きしてもらって、会話を楽しみたかったという思いはあって、その点については悲しいというよりも残念だなと思うところだ。
かと言って、あと何年も生きられたら困った事態も多々あっただろうし、会話ができなくとも「この質問をしたらこう返ってくるだろうな」というように、返答も想像できるから、心の中ではいつでも会話できる状態になっているような気もしている。
とは言え、今まで実家に帰れば、「おー、元気か」とか「おい、何している」と声をかけられていたものだから、ふとした瞬間に「何か言った?」と空耳に対して返事をしてしまいそうになる。
人の脳はいい加減なもんで、そうやって勝手にいなくなった人を想像したり、都合のいい会話を頭の中で組み立ててしまったり、だからこそ身近な人の死にも耐えて先の人生を生きられるのではないか、そんな風に今は感じている。