告別式から火葬場へ
通夜同様に告別式に何の意味があるのかなんてさっぱり分からないが、千年以上も続く歴史のなかで作られた一つのフォーマットに乗っ取って取り仕切った方が楽だし、むしろ理にかなっているのだろう。
大した教訓を授かった訳でもないし、何か道標とさせてもらったものすらない父親であるけれいど、やはり寂しさは残るもので、これからしばらくは母親が元気にしばらく暮らしてもらえるようにフォローは必要だろうとか、そんなことばかりを考えていた。
告別式でのお経が終わった瞬間に、何となくであるが、ふと身体が軽くなって「これから数年で事業を上手く軌道にのせるのだ」という強くて明るいエネルギーのようなものが湧いてきた感覚を覚えた。
別に天から授かったとも思えなくて、ただこの数か月で頭から離れなかった父親の最期という儀式に一区切りがついてホッとしただけだと捉えている。
自分のルーツは
遺伝子異常の能力は努力でそう簡単に身に付くものでもないし、ある程度の自分の身の丈は分かっておきたいと昔から思っていたが、ついぞ父親からは、そのルーツについてよく聞けずに終わってしまった。
せめて、自分の祖父のことだけでもと思い、告別式の迎えに行った際には、父親の兄弟にあたる叔父さんにあれやこれやと聞くことにした。
聞けば、戦前は大富豪であったとか、伝説的な話は聞くことがあっても詳細は分からないし、参考にもならないことは聞いたことがあったが、少しでも何かチャレンジするときに勇気づけてもらえるようなエピソードが欲しいと思っていたのだ。
しかし、叔父さんもご高齢であって、そこまで明確な話を聞き出せたわけでもないのだが、良いこと悪いこと、知りたくないこともあるだろうし、この先は想像力を働かせて自分のルーツを勝手に作り込んでいくしかない、そう思うに至った。
まあ、ルーツを知ったところで、特殊能力が身に付くわけでもないし、何をしたって、毎日をコツコツ進めるしかないのだから、気になるところではあるが、もう別にいいだろう。
あと36年で一区切り
親のボツ年齢を意識するのは誰でも同じだと思うが、干支が同じ父親の年齢まで生きるとすると、ちょうど36年になる。
流石にその時まで現役でいるとは思えないが、後進の指導やゴルフを楽しむくらいの余生にはしたいと思っている。
あわよくば、80歳を過ぎても海外旅行には行きたいものだ。
とにかく生きていさえすれば、何でもできる、長生きしたい、そう思うだけだ。
事業活動を30年と考えると、何でもできそうな気になってしまうのだけれど、目標を立てて、一つ一つ駒を進めていくしか方法はないはずだ。
長距離運転をして岐路につきながら、明日から、また通常の毎日を迎える心の準備をした。