東京駅の賑わいで感じるインバウンド

子供たちを東京駅に送る際に久しぶりに正月の東京駅の雰囲気を感じ取ることができたのだが、この数年で様変わりしたな、と思うのがやはり外国人観光客の多さだ。

さすがに、中国人らしき人は少なかったが、欧米人と思われるような風貌の観光客でごった返していて、改札に入る前のお土産屋さんも、改札口も、ホームも、スーツケースを転がした方々ばかりだった。

見送り届けたあと、子供たちに聞けば、品川で多くの観光客が車両に乗ってきて、日本人は少なかったというのだから、やはりインバウンドは今年も継続と思って間違いないだろう。

明日には、ホームタウンの京都に戻る訳であるが、今年から開始するお土産ビジネスにおいても、時流に乗って日銭を稼ぎ、目標としては全体の売り上げの1割~2割程度、最低でも300万円は稼げるようになれたらと思うところだ。

初めての参拝と墓参り

父親が昨年に亡くなっているということで、世間的に言えば喪中ということになるのだが、そもそも喪中の概念が小さい頃からピンと来ていなかった。

その理由としては、知り合いや親せきが多い人にとって、常に喪中となる確率の方が高いのでは、と思ったり、死んだ人が残された遺族に「私が死んだのだから新年が明けた喜びを味わうな」とは言わないだろう、と考えたり、喪中を感じるのが「年賀状」の文化でしか言われていないし、一年間の喪中、というのも区切りとして何だか気持ちが悪いと思ってしまうからだ。

今の時代、何でもインターネットに情報が自由に得られる良い時代で、改めて喪中について調べてみると、どうやら、死を穢れと捉えて、身内に不幸があった人は、少なくとも喪に服す四十九日の間は、神社に参拝するのは控えて欲しい、という神道の教えからくるようだ。

神道の教えに四十九日という仏教の教えが含まれるのが何とも日本っぽいが、恐らくそいういうことで、6月に亡くなった父親の喪に服すために初詣を控える、という考え方は、どうやら年賀状が普及し始めた現代の習わしのようであるのだ。

とは言え、母からも今年は初詣に行かないで、なんて言われているので無視するわけにもいかず、元旦はお墓参りをするだけにとどめたのだが、せっかく今日は東京駅で子供たちを見送った後は、一人でフリーとなるため、兼ねてから訪れたいと思っていた靖国神社に行くことにした。

毎年なのか分からないが参拝の列には大勢が並んでいて、一時間ほどかかりそうな雰囲気であったので、その列には並ばずに鳥居をくぐって境内を一周させていただいた。

母方祖父はインパール作戦の生き残りで、たくさんの仲間の死を見送ったことは小さいながらに伝えられていたし、父方祖母や妻方の親族には戦没者がいて、仏壇の上には靖国の写真が飾られているのを目にしてきている。

今あるのは、英霊のおかげということを、この歳になってようやく言語化して言えるようになったことに、何だか虚しさを感じつつ、お参りをさせていただいた。

政治からテクノロジーの時流を読む

高市総理の新年の言葉があり、安全保障の話もきになるところであるが、やはり事業活動としては、これからの日本の歩む道というのが、製造業にとって理にかなっているのかを考えずにはいられない。

どうしても、モノを作るという断面においては、作る人、つまり生産者とか労働者、というくくりは避けて通れず、その概念において、産業革命以降の政治と密接に結びついていると考えなければいけないところだ。

いわゆる、資本主義国として、それなりに豊かになった国々の産業を見たときに、製造業における生産力を、海外における安い労働力に頼ってきた、という流れは見逃せない。

工場の海外進出が頭打ちになると、労働力を増やすための施策としての、国内への移民政策へ舵を切ったというのが、日本より先に舵を切ってきた欧州の話で、日本はその現状を見て、移民政策にストップがかかりそうなところである。

「世の中のコストは全て人件費である」という真理を追究するならば、安い労働力を使うというのは理にかなっている訳であるが、発展途上国にそれをお願いし続ければ、いずれは破綻するというのは目に見えていたことで、それが近年明らかになってきているところだ。

資源のない日本にとって、技術力を武器にするところまでは満場一致であるが、モノを作る、という「ものづくり」という面において、この先何が正解になるかは、現場を経験してきた者でも予測が難しい。

地産地消が正解の一つとも取れるし、Aiに全てを委ねる、というのも一つの手かも知れない。

微力ながら、政界の動きも意識しながら、少しでも日本のテクノロジーの向上と普及の力になれればと思うところだ。

ABOUT ME
ゆうため
1978年生まれ 首都圏出身 地方都市在住 技術者として一部上場企業で20年勤務 独立めざして中小企業へ転職 コンサルティング会社からロボット会社を経て起業独立