友の死から1日が経過して、改めて命の尊さを実感している
友との別れで感じること
もっと色々と語りたかった、もっと一緒に飲みたかった、もっと一緒に遊びたかった、もっと、もっと、その思いは友の死でも父親の死でも同じで、いなくなってしまったら、心の中で故人と会話をするしか方法はなくなる。
不思議なもので、相手との関係が深まっていれば深まっているほど、こんな会話になるだろう、というのが想像できて、あたかも本人と会話ができているような感覚になったりもするものだ。
寂しさは、周りの人と一緒に故人を思って語り合って、それで紛らわしていくしかないのだろう。
いずれ100%死んでいくのだから、そう思っても死に対する怖さは消えないもので、果たして友や親父は何を最後に思って逝ってしまったのだろう、その部分は一生答えが出てこないと思っている。
これまで「命まで取られることはない」と、自分に励ましてきたのだけれど、実際に命を取られることとなった友の最後の生き様は、かなり深く心に刻まれることとなった。
これから、人生、色々なことに出会うだろうけれど、特に辛いこと、しんどいことに直面した際には、その度に必ず47歳で去ってしまった友のことを思い出し、自分を奮い立たせて前に進むことになるだろう。
カメラ製作を急げ
注文を受けているにもかかわらず、本来であれば今月中に納品をするべきであったカメラユニットについては、諸々の事情が重なって保留状態になってしまっている。
お客様には保留状態であることなんて、決して言えないのだけれど、それでもさすがに何か一報を入れなければ不安は募るばかりであろう。
組立作業としては、問い合わせのない土日の2日間で集中するとした場合、次の土日は告別式等あって作業にあたれないだろうから、その次の週末に実行するしかない。
そうなると、納品は再来週が最短ということになるのだが、無理やりでも時間を作って作業を進めるしかないのだから、先に納品日を決めてしまうことで退路を断つしかなさそうだ。
再来週のどこかで納品させてもらいたい旨を明日にでもお客様に打診して、日程調整をすることに決めた。
製作はコミュニケーションが大切
先月に納品していた設計案件のXYステージユニットが時間差で組立が完了し、エンドユーザーの手もとに届いているようだ。
記憶力が弱いのか、過去の設計案件については、詳細な部分は完全に忘れてしまっているので、今さら問い合わせをされても、すぐには答えられずにアタフタするのだけれど、だからと言って返答を遅くしてしまっては、自分の首を絞めるばかりだ。
コミュニケーションは凄く大切で、問い合わせの大半は直ぐに回答が欲しいに決まっていることであるし、納品物についてとなればなおのこと即時に知りたいことを聞いているに決まっている。
「設計ミスか!?」と焦りながらも、何とか回答をしてエンドユーザーに安心してもらうことができた。
同じく安全柵についても、フレーム類が現場に届き、製作が始まっているので、現場からの問い合わせについては、なるべく早く反応して対応できるように心がけたい。