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ホワイト社会で生きる覚悟と心得

週刊誌報道で狙われた特定の人が、次にSNSで叩かれて、そのうち社会から抹殺されていいく、、、今、世間ではすごく騒がれています。

ゴシップネタは見ないようにと思いながらも、元々ミーハーな私はついついヤフコメを見てしまっています。

嘘か本当か分からない記事を見る度に、「岡田斗司夫さんが唱える、ホワイト社会が本格的に到来したな」と、つくづく思います。

綺麗なものが正しいとされる社会

ホワイト社会というのは、「外見も中身も綺麗なものが正しいとされる社会」と、定義されています。

週刊誌報道にまつわる問題だけでなく、コンプライアンスやパワハラ、セクハラ、などなど、一般社会でも、「昔はうるさく言われなかったことが、厳しくなったな」と思うことが多くあります。

ブラックは悪なのに対して、ホワイトは正しい、とそういう社会が到来したということです。

さらに、ホワイトを社会的に好む傾向は、人間の内面的なことだけではなく、外見も綺麗なものを好む傾向にある、というのです。

なるほど、有名人や俳優、漫画やアニメのキャラクターなど、ひと昔前には「ちょっと汚くてカッコ悪いが憎めないキャラ」が主人公であったことが多いような気がします。

ドラゴンボールの孫悟空もどちらかと言えば、汚い方のキャラ設定ですし、ちょっと「ひげ濃いめ的な俳優」が我々の若い時代には人気があったような気がしますが、今は違います。

そして、ホワイトな社会では、言葉遣いも気をつけなくてはいけないと言われるのです。

自分がどう思おうが、相手がどう思うかが問われている、気に入らなければSNSで拡散される、有名人だけでなく一般人も攻撃の的となる時代はすぐそこまで来ていると、私も感じています。

社会の変化は昔から変わらない

「昔は良かったねと いつも口にしがら 生きていくのは 本当に嫌だから」

こんな歌詞がありますが、若い頃は、人生の先輩方が「昔はよかった」と口にしているのを聞いて、「こうなるのは本当に嫌だ」と思ったものです。

江戸時代初期の古文書に「最近の若い者は、いくさを知らんものが多くなって、けしからん」的な日記が残されているそうです。

自分が過ごした時代を振り返って「昔はよかった」と思ったり、世代の違う若者を揶揄したりするのは、実は昔から変わらないことで、ひょっとしたら原始時代の人でも、同じような感情になっていたのではないかと思うのです。

つまり、時間は刻一刻と、全ての人の目の前を平等に流れていくもので、いい悪いは別として、人間は過去を良かったと思い、過去を知らない若者はけしからんと思う、そういう生き物だと受け入れた方が、ストレスにならないかな、と個人的には捉えています。

家族での約束ごと

では、そんなホワイト社会に生きるためにどうすればいいのか、パワハラについて考察してみました。

立場や地位が上の人の言動によって、精神的な苦痛を受けることが、いわゆるパワハラです。

それが進んで、実際の現場では、和やかに、同意があるようにことが進んでいても、実は、「否定もすることができずに、表向きは同意のある言動をしていただけ」であって、「あの時は精神的な苦痛を受けていた」「あの時のことがトラウマになっている」と、後出しじゃんけんが許されるようになりました。

過去に遡ってのホワイト化も進んでいる状況です。

身近な家族においては、親と子のパワーバランスは一目瞭然。

ただでさえ、表現力が未熟な子供なのですから、思っていることをうまく言えていない、もしくは、思っていることと真逆のことを言っている、そのくらいに捉えておいた方がいいのかも知れません。

人の心の中は、たとえ家族であっても分からない、だからこそ、相手を思うことを第一に考えないといけませんし、普段から汚い言葉を使わないように注意していかなくてはいけないよ、と言い聞かせています。

もっと言うと、綺麗なことを考える癖をつけるようにしなければいけないのだと思いますので、子供たちにも、できるだけ綺麗なことを考えてもらうように教育していこうと思います。

中年のおっさんが、綺麗なことばかり考えているのは気持ちが悪いですが、そんな時代と思って、身も心も綺麗になれるように頑張りたいと思います。

ABOUT ME
ゆうため
1978年生まれ 首都圏出身 地方都市在住 技術者として一部上場企業で20年勤務 独立めざして中小企業へ転職 コンサルティング会社からロボット会社を経て起業独立