どこもかしこも自動化
営業回りをしていたときに気が付いたのですが、最近はどの企業でも自動化に取り組んでいるところが多くみられました。中には自動化によるコストメリットを明確に打ち出したり、この部分を自動化にしたらもっと品質があがる、など目的を明確にしている企業もありました。
しかし、まずは自動化プロジェクトなどの組織的な箱を作っているだけで、何をどのように自動化するのは、箱に入れられた担当者が頭を捻って考えるという状況の企業が大半だったと思います。
これは日本人の特性なのか、目的と手段が逆転してしまうことがよくあり、自動化も自動化そのものが目的となってしまって、何のために自動化が必要なのか、それを聞いても回答のない会社が多かったという印象を持っています。
ある工場長の話
ある日、よくしていただいていた工場長と話をしているときに、ふとこんなことを言われたのを記憶しています。「私が責任者となっている工場にはおよそ50名の従業員がいます。例えば自動化を取り入れて半分の工数で生産が可能になったとしましょうよ。機械に任せて仕事が無くなった25名の仕事を新たに創出しないといけないのですよ。ゆうためさん、こんな悩み考えたことあります?」と。
確かに、私も含めて多くの人は飯を食うため、家族を養うために仕事をしていますので、自動化になったから明日から会社を辞めてください、と言われても途方に暮れてしまいます。
業績が悪くなったからリストラ、というのとは少し納得感も違うような気がします。とある工場だけでなく社会全体で考えたときにも、例えばこれからIoTが広がり、世の中の半分の人が仕事を失うと想定してみます。
半分の人が働けるくらいの需要が存在するのか?人が働かなくなった分、所得税が減っていくのでは?国家は税金を徴収できるのか?など、結局は自動化したところで人は別の仕事をしなくてはいけないのだなぁ、と考えさせられました。
現場の合言葉、ご安全に!
ご安全に!現場仕事をやられている方には馴染みのある挨拶だと思います。事務仕事をやられている方でも、最近は職長教育を取り入れている企業も多いかと思いますので、聞いたことのある言葉かと思います。
この、ご安全に!という言葉は、諸説あるらしいのですが、由来としてはは炭鉱からきているというのです。ある製鉄所での入構教育の際に講師の方が教えてくださいました。日本は戦前戦後と石炭燃料が主流で、各地に炭鉱を所有していました。社会科の授業ですでに日本は資源のない国と教わってきた私たち世代にはピンとこないところではありますが、確かに私の祖父も戦地から生き延びて帰ってきた際に職にしたのが炭鉱での作業員だったと聞かされたことがあり、その従業員は多かったのだろうなと想像します。
しかし、炭鉱資源も底をつき閉鎖となりました。私の祖父はその後はタクシードライバーと転身したようなのですが、新たな職を探した方々が製鉄所に流れ込んだと、その講師はおっしゃっていました。
炭鉱は危険な作業、死者も多く出たと言われているくらいですので、作業員たちは穴の中で仲間とすれ違う際には、ご安全に!という言葉を合言葉とされていたとのことです。その作業員が製鉄所でも同様に挨拶をしていたものが定着したという説が有力とのことでした。
今は亡きじいちゃんに、ご安全に!ってよく言っていたの?って説を検証してみたいところですが、私個人としては祖父との思い出も蘇ってくる妙に納得感のあるもので、この説は気に入っています。
説はさておき、この多くの方が仕事を失い違う職場へ流れ込む、という現象、これと同じようなことが、自動化、省人化の波で発生するのではないかと思っています。そう遠くはない将来、自動化で仕事が減った分を人はどのような仕事で補うのでしょうか?
第一候補がプログラミング
自動化を実現した先は、自動化で働き口を失った世界中の人が自動化のためのプログラミングを生業とし始める、というのが私の推論です。そうなってくると、何のために自動化しているのか、わからなくなりますが、とにかく人は働かなくてはいけない生き物なのかなと思います。
国の将来は教育にありと言われますが、プログラミングに力を入れいているのはとてもよいことだと思います。戦後の高度成長は、戦時中に鍛えられた細やかな手作業や忍耐力が、日本人全体に職人気質を育み、産業を支え、成しえたものだと思います。
そして、日本人の職人気質が次に発揮されるのはプログラミングの世界だと私は推測しています。バグが少なく高速処理ができるプログラムを誰もが作れる日本になっていければ、我々の老後も安泰だ、何て楽観的に思うようにしています。
今は、ただでさえコロナでくらい話題ばかりなのに、日本の産業・モノづくりも芳しい状況ではありません。多少は楽観的な見方で将来の夢を見ることも必要かなと、そう思うのです。必ずや、今の子供たちが働き盛りのころには、日本のプログラミングが世界を席巻しているであろうと。
そしてそして、席巻したその先にあるものも、過去の歴史から見て大体想像がつきます。おそらく高度なプログラミング技術は時がたてば真似されていくとともに、自ら誰も欲しないものへガラパゴス化が始まり、行く行くは廃れていく、そんな運命を辿るのではないでしょうか。。。歴史は繰り返す、それが日本という国なのではないのかなと思います。