万国博覧会で感じたこと
兼ねてから予定をしいていた大阪万博に家族で訪れることができた。
平日なのに人の多さに驚いたことが一番の思い出となるが、一つ一つのパリビオンについては、アメリカ館やフランス館には入っていないので、何とも言い難い。
とは言え、ある程度のメディア等である程度の様子はうかがえるし、先進国であるドイツ館の様子から他の国を想像することも可能だ。
内容としては、科学やAiを使って未来を創るというもののサステナブルを意識しているのが先進国、それに対して後進国は地域の特産、特に食物やなどについてアピールしているようである。
とは言え、伝統的な生活をしている人々というのは世界中を見渡しても数パーセントもないくらいで、ほとんどがスマホを所持してインターネットで情報を入手して生活を送っている人々となるので、後進国のパビリオンに入っても「地方の民芸会館」を訪れている感覚がぬぐえなかった。
そういう意味では、先端技術も同じで、どの国でもほぼ同じように技術情報を平等に取り入れられる状態になってきているのだから、大きな差は出ていないだろうと想像できる。
では、我々としてはこの「情報の民主化」をどのように活用して、さらにはAiを道具として使いこなして、事業展開していくのか、というのが鍵であり、時代の変化に合わせて先端と伝統を融合させて生きていくことが望まれているのだろう。
そう感じた一日であった。
加えて、このような大規模な施設を突貫工事で作ったのだから、それに関わった業者は一定期間バブル状態であったことも想像に難しくない。
いわゆる公共事業みたいなものなので、それについても今後、チャンネルとして持っておくことも大切だと学ぶことができた。
一日作業なしでもできる対応
一日、立ちっぱなしであったが、電話対応としていくつか対応をすることができた。
土木工事のジグ製作案件で紹介を依頼していた社長から、「製缶業者の社長から電話連絡がきますよ」という嬉しい知らせが届いた。
さっそく、パビリオンに並んでいる最中に紹介先の社長より電話があり、前向きに取引を検討いただける旨を頂戴することができた。
緊急事態に備えて②
どうやら本当に父親の容態が芳しくないようで、血圧が60台になっているとのことだから、いつ息を引き取ってもおかしくない状況なのだろう。
何とか今日のイベントである万博は行けたものの、次のイベントとしては木曜日から娘の修学旅行が控えている。
一週間先となると、補助金申請の締め切りが近づいているし、何よりも設計案件としてはこの先1ヵ月は必要になってくるだろうボリュームの仕事が継続している訳で、その点について穴を開ける訳にはいかない状況だ。
4年近くの闘病生活の中で、この1年は特に死ぬ死ぬ詐欺とでも言おうか、なかなな人は死なないものだな、なんて身内ながら不謹慎なことを言ったりもしていたが、いよいよとなった時でさえ、その日時は全く予想がつかないものである。
人生のイベントとして人の死ほど計画的でないものはないとつくづく感じるこの数日である。
- 今、死んだという知らせを受ける
- 3日以内
- 1週間後
と3パターンくらいを想定して、毎日を過ごすことになるだろう。