二葉亭四迷の話
高校野球部の仲間の結婚式にて、新郎であるその友人のお父さんが息子に向けて書いたこんな手紙が読まれたのを今でも覚えています。それは、「明治時代の作家二葉亭四迷はⅠLove youを死んでもいいわ、と訳したと言われていますが、これは自分が死ぬまで相手のことを思いやるということです」というような内容でした。実はこの友人は、小さいころにお母さんを亡くしていて、おばあちゃん子だったのですが、そのお父さんは奥様を亡くしてからも再婚をせずにおられて、息子の結婚式にてこの手紙を読まれた、という何とも泣ける結婚式の話です。
他にも夏目漱石はI love you”月がきれいですね”と訳したと言われています。この明治時代には英語を日本語に訳された言葉がたくさんあるようです。
その中には、私が生業としている設計という言葉があり、元の英語であるDesignを誰かが設計と訳されたようです。Sineというのは線を引くというような意味合いがあるとのことで、造形の線の他にも計画の線という意味もあり、設けるという感じと計画の計という感じを組み合わせて設計と命名されたそうです。
設計とデザインは同じではない
デザインと聞くと、おしゃれ洋服や建物などの形をササっとデッサンするようなことをイメージされる方が多いのではないでしょうか?いかにもインスピレーションが豊かな人が一瞬で書き上げる、そんなイメージです。一方で、設計というと、計算して導き出した線でおしゃれとは程遠い線を描くイメージでしょうか。
元々はDesignを和訳したものが設計なので同じ意味をなす言葉のはずが、抱くイメージが異なるというのは、何とも日本語っぽくて、それはそれでよいかなと思っています。
私が設計とは、と聞かれて回答する好きな表現は少々長いですがこんな感じです。”世の中から要求されるもの・ことを、取り巻く社会情勢や材料調達の流通、コストや納期、生産や販売方法など、あらゆる面を考慮して最適な選択をしながら、頭の中でイメージし、それを具現化すること”
デザインはどちらかというと、あらゆる面を考慮せずに、場合によってはコストも時間も際限なく費やしてもよいから美しさを表現する、作品を作るというニュアンスなので、根っこの部分では設計とは真逆の考え方になってしまいます。
頭の中を具現化する方法
人の頭の中を表現するには、まずは言葉で言語化することが大切です。意外と絵心のある方というのは、書こうとしている絵を言葉で表現するのが上手であったりします。
私は作曲はできないのですが、作曲をされるアーティストの方がよくパッと思いついた等の話をされますが、あれは常に音楽のことばかり考えていて、その積み重ねの先に何かの拍子に一瞬で曲が閃くのだと思います。
作曲者へのインタビューで曲のイメージは?という質問に対して、必ずどのアーティストも言葉で明確な表現で曲のイメージを伝えているかと思います。右脳と左脳の役割は異なりますが、右脳だけでは頭の中のイメージを具現化することは、不可能とは言い切れないですが、私の実体験からも言葉でイメージを説明できるくらいに落とし込むと何事も具現化しやすいかと思います。
これからの時代
これからは、バーチャル世界がどんどん現実化されてきて、いよいよメタ時代に入っていくのだと思います。設計やデザインなど頭のイメージを具現化して商品や作品にするのは、一握りの優れた人ができる術のように思われてきましたが、これからは誰もが自分の頭のイメージを具現化できる時代になっていくかと思います。
一家に一台3Dプリンターを所有するようになり、家電や料理などがプリンターから作られ、買い物と言えばプリンター材料のみで、大半のものはホームメイドで作るという時代です。
そんな時代が私が生きている間に訪れる可能性が高く、であればひと昔前となる現在で私が持っている職能というものを未来に役に立つ方向に使えたらどんなに幸せなことか、と最近はよく思います。
45歳定年制というのを真面目に考えて行動していきたい、そう思うようになったのも、今回の記事のようなことを日々考えて行きついた私なりの現状の答えであります。頭の中のイメージを誰でも具現化できる時代へ、そう思う今日この頃です。