会社や組織とはどうあるべきか、著名人の言葉は嫌というほど見たり聞いたりしてきました。明確な正解もなければ、どれも間違ったことは言っていません。何のために働くのか、というような問いも同じ類かなと思います。
私が20代の頃は、書店で並んでいたビジネス本は著名人のものが多く、どちらかと言えば組織論やリーダー論と言った、日本の縦社会において上り詰めた方々の自叙伝的な感じでした。その中で、自分に合うものを取り入れようと、20代30代の私は、バリバリに仕事して、順調に出世をして、やってやるぞ、という気持ちがなかったわけではないので、自己啓発本などをふんふんと読み漁っていました。
しかし、一方で、人生のプランとしては自分はちょっと違うなと、薄々感じていたところもあります。また、出世欲の強い人ほど今でいうパワハラ系が多かった時代ですし、サラリーマンとして出世街道を上り詰めることは憧れの存在ではありませんでした。
そんなことより、まずは技術屋として一人前にという思いの方が強かったので、特に20代のころは専門書や設計に関する参考書を片手に設計とはを追求していた面もありました。幸いにも、やりたいと思える仕事ができる会社であったため、周りの友人たちが、転職や独立を考えていた頃に、比較的私は目の前の仕事に没頭できた方かなと思っています。
ところが、20年も同じ会社で仕事をしていると色々な変化があるものです。おそらく、外から見た会社のイメージではわからないような変化というのは、どの会社にもあるのではないでしょうか?
この20年で技術の移り変わりも激しく、事業撤退で会社を転職した人や会社ごと買収され別会社の社員となった人など、技術系とは言えサラリーマンである以上は、ある程度はサラリーマンとしてあきらめないといけないものがあると痛感しています。
会社にとっては、担当者が変更になったり、人員が減ったり、手順が変更になったりと、現場レベルの変化というのは、一時的には業績が落ち込んだりしたりしますが、高い目線で見れば大した変化ではないのは誰もがわかることかと思います。
では、大きなうねりのように組織や会社が変化するのはどういうときでしょうか?現場レベルではないというところの対局にあるのが、そう経営層です。特にトップの社長が交代した時にはそれが浮き彫りになります。
代替わりした数年は、特に何も変化が見られませんが、5年、10年たつと、全く違う会社になってしまったように感じるものです。それが、良い方向に行っているのであれば、問題ないかと思うのですが、悪い方向に行った場合には大変です。
私が、皆さんにお伝えしたいのは、良い悪いの変化は何も業績だけでなないということです。会社とは、企業理念とか経営方針とか、明言化されたフィロソフィーよりも、何となくルール化されるような目に見えない雰囲気のようなものに動かされて成長していきます。
その中で、個人個人が抱いている目標や人生観が会社の雰囲気とマッチしている人が生き生きと働き、そうでない人が、思い悩んでしまったり、辞めて転職したりするのです。会社と個人の価値観が合わなくても収入がよければそれでよし、というのも一つの考え方でよいと思いますが、多くの人が、お金よりも人生の大半を過ごす会社の雰囲気を大切にしているのではないでしょうか。
思えば私も一生同じ会社で働いて定年を迎えるのが美徳であると思った時期もあります。また、会社や組織の価値観と合わなくても我慢をしていればそのうち次の代替わりの時代がくるとか、そういった自主的でない姿勢でいた時期もありました。
しかし、今、人生の折り返しに立った時に、それでいいのか、と思う機会が増えてきました。そんな折に45歳定年制という話題も出たりして、いったんリセットしてみようと決心しました。今はそのリセットのための準備期間と位置付けています。
45歳定年制という話も、日本を何とか立て直そうという気持ちから発せられた言葉。それに対して、悲観的でいかにも他力なコメントばかりが寄せられていることに違和感を感じました。何も行動しなかったら、悲観的なコメントを寄せている人と同じになってしまいます。自ら主体的に行動して、45歳までに培った経験を社会に還元しつつ、自らの人生も幸せに満ちたものにする、そのために何をするか、を日々考えて行動していきたいと思います。