趣味・生活

教科書掲載 スーホの白い馬 主題 

ゆうため妻

何だか悲しい物語ね

ゆうため

馬から楽器を作った物語というのだけは記憶にあるけど。。。

ゆうため妻

この物語の教訓は何なの?ハッピーエンドにできないのかしら?

ゆうため

何も、ハッピーエンドだけから学ぶだけが教訓ではないのかもね。

子供の宿題音読から、このような夫婦の会話をしたり、自分の子供の頃を思い出す親御さんも多いかと思います。

今回は、教科書に掲載されている物語から、親として何を学ばせるのかを考察したいと思います。

スーホの白い馬は適切な教材なのか

モンゴルの羊飼いの少年と白馬の物語。

・少年が白馬を拾ってきて育てた

・白馬はオオカミに立ち向かい、少年の羊を守る

・お互いに固い絆で結ばれる

・少年は死んでしまった白馬から馬頭琴という楽器をつくる

・楽器に生まれ変わったことで、少年と白馬はいつまでも一緒にいることに

というのが、大まかな流れで、モンゴルの伝統楽器「馬頭琴」の音色や深みを伝える物語になっているかと思います。

小学校低学年に対しての教材としては、色々と考えるテーマがあってよい教材なのかもしれませんが、30年以上前に父親である私ですらも教わったことのある教材を令和のこの時代も教材としていることに、正直驚いています。

「この30年間に、これよりも良い物語は出てこなかったのか・・・」と。

色々考えられる教材だからいいのか?

この物語の中で、上記には記載していない、私も記憶からなくなっていた点があります。

それは、白馬は王様に殺されてしまった、という点です。

しかも、大会で優勝したら王様の娘をお嫁様にするという約束を破るだけでなく、少年をぼっこぼこにした上で、白馬を少年から奪うという、最悪なことをしているのです。

なのに、物語では王様に何の罰もなく、ただただ残虐なストーリであるものを、馬頭琴として生まれ変わることで、二人は一生一緒に暮らしていったとさ、という終わり方をしているのは、いかがなものなのか、と思うのです。

せめて、その後、民主化がおこり、王様は刑罰を与えられたものの、一般市民となって改心して過ごしました、くらいなストーリを加えておいた方がよいのではないでしょうか?

王様や金持ちは悪いものという刷り込み

「お金儲けは汚いもの、と刷り込んでしまう日本の教育は良くない」という意見を見聞きすることがあります。

同様に、王様は悪いもの、とか、王様だから悪いことをしても許される、という刷り込みをされる可能性のある教材を扱うのは、現代社会において、よくない教育をしてしまっているのではないでしょうか?

現代社会に残っている王様、つまり国家元首は、東西問わず、社会貢献活動もされていて、国際的に活躍されている方々がほとんどです。

また、法律国家に生きるうえで、悪いことをした人は例え立派な立場の人であっても、みな平等に裁かれる、という原則は小学校低学年から、まっすぐ伝えるべきだと思うからです。

他にも、昔話は往々にして、今の社会にそぐわないことが多く、さるかに合戦がその例としてよく知られていますが、内容を現代風に書き換えられることがあると聞きます。

別に、暴力的な表現だから書き直す必要はなく、その時の時代背景も含めて大人たちがちゃんと説明してあげればよい、ということだけのような気もします。

そういう意味では、スーホの白い馬についても、モンゴルという外国の時代背景を少しでも伝える、ということでもよいのかも知れません。

とにかく、30年40年前から同じ教科書で教育している日本に危機感を感じながら、ゲームをしている子供たちに、あーだこーだ説教している今日この頃です。

ABOUT ME
ゆうため
1978年生まれ 首都圏出身 地方都市在住 技術者として一部上場企業で20年勤務 独立めざして中小企業へ転職 コンサルティング会社からロボット会社を経て起業独立