会社を辞める理由
20年勤めた会社を辞めて違う会社へ転職することに決めたとき、辞める理由で最後まで残ったのが、仲間との関係でした。
・会社の業績が定年退職まで伸びるとは思えなかった
・出世競争に遅れて、競争相手に後輩がどんどん出てきた
・会社のために働く義理が薄れてきた
・目標とする人が社内にいなくなってしまった
・他の会社で働いてみたくなった
などなど、理由を挙げればきりがありません。
退職の挨拶では、約200人の人へ挨拶をしましたが、理由を聞かれてもこれが一番というものがなく、毎回違う答えを言っていたほどです。
結局、会社を辞める理由は一つではなく、逆に「残る理由が一つもなくなった」と表現した方がすっきりするのでした。
その「残る理由」の最後にあったのが、仲間や先輩と会えなくなってしまう、という思いでした。
この思いについて、自分の中でしっくりする答えが出来上がったときに、辞める方向へ突き進むことになったのでした。
それは、「辞めても会える、むしろ辞めた方が仲良くできる」そう思えるようになったことが大きかったと感じます。
そもそもがさみしがり屋の体質だっただけなのだと。
会社が変わっても会いたいと思われる人であれ
20年も同じ会社に勤めていると、職場の人とはいつでも連絡が取り合えるし、相談もできる状態が続きます。
時には会いたくなくなって疎遠になったとしても、年月をかけて確執が和らいでいくと会えたりもします。
それが、辞めてしまうとどうなるのでしょうか?
少なくとも私は、会社を辞めていった仲間と直接連絡を取り合って会うということは、よほどの仲間でないとしてきませんでした。
今度は自分が残った同僚から、会いたいな、と思われなくてはいけないなと考えました。
過去の出来事は変えられませんが、辞めると決めてから去るまでの間で、「いい辞め方をしないといけないな」そう思えるようになりました。
悲劇のヒーロー
「会いたいなと思われるキャラはどんな人か?」「自分はどうあれるか?」を考えたときに、今よりも待遇がよくて企業規模も大きい会社に転職する場合には、残っている人は心から会いたいと思ってくれないな、と感じました。
それは、まさに自分がそうだったからです。
自分より待遇のよい会社へ転職してしまった同僚に対しては、心の奥底では給与面や役職面で羨ましいな、という思いが生じていたのは事実だからです。
そう思わない、ケースは逆に今よりも待遇が悪くなったのに転職していった人たちでした。
頑張れ、という思いと、俺も負けずに頑張るよ、という勇気を与えてくれているというか、そういう転職をした人には爽快感を覚えているのは事実です。
大手企業から中小企業を選んだ理由の一つもそこにあります。
・給料が半分になった
・小さな会社であれば雑用も含めて全て対応しなくてはいけない
・地位や名誉を捨てて一からチャレンジしている
といった、悲劇のヒーロになれたら、転職した後も仲間たちは私に会ってくれるのではないか、そう考えている一面がありました。
今や転職が当たり前の時代に、何をいっているのだ、という声が聞こえてきそうですが、終身雇用・年功序列が染みついた日本の社会で同じ会社に20年も務めていると、健全ではない考え方も身についてしまうものなのです。
転職の前に人生で大切にしていることを整理してみた
小さなころからやりたかったこと、これからやりたいこと、とにかく夢というものを大小関わらず挙げてみることにしました。
そのほとんどが、サラリーマンを続けているうちは達成できない夢ばかりでした。
また、人生で本当に大切にしていることは何か、ということも深掘りしていきました。
私の場合は、家族もさることながら、友人や周りの人と楽しく過ごす時間を大切にしたいと考える人間なのだ、ということに改めて気が付かされました。
そのためには、お金も必要です。
サラリーマンを続けながら、今会いたい家族や友人に会いに行ったり、食事をしたり、ゴルフをしたり、ということを十分にやれるかと考えると、不可能ということが分かりました。
自分が描いた夢を実現できている状態、自分に正直に生きている状態でなければ、人に正直になれないし、家族や友人と心から楽しい時間を過ごせない、ということも気が付きました。
44歳にもなって気が付くなよ、と誰しもが思うでしょう。けど、動き出すのがどんなに遅くても、動き出さないよりは、だいぶましなはずです。
未だ、人生の暗闇を模索している途中ですが、勇気をもって行動して、同じように悩んでいる人に少しでも勇気を与えることができるのであれば、こんなにうれしいことはないと思います。
多少のリスクを背負いながらチャレンジしている姿勢、行動を継続して続けることで、仲間も会いたいと思ってくれるかなと思っています。