人生の目的、楽しいこと、自分らしく
思い返せば、人よりも違うことをしたいという目立ちたがりの性分ではありました。それが、高校、大学へ進学するにつれて薄れていったのか、臆病になったのか、普通に就職活動をして普通に働き始めたのでした。
就職活動をしていた大学4年生のときに、独立することをめざしていたのだけは明確に覚えています。施工会社にバイトして、大手銀行を退職して独立した社長の話を聞いて、まずは大手に入って修行した方がいいか、と思い普通に就職しようと決めたものでした。
施工会社の社長によると、大手で勉強するのはとても大きな財産となったという話だったのですが、勉強になるのは最初の数年ってところでしょうか。
さすがに20年は働きすぎました。卒業してすぐに何かを始めるということもできたのに、その道を選ばなかったのは、臆病なだけ、勇気がなかっただけだと、振り返ってみるとそう思うのです。
その私が、今は独立に向けて動き出している、あの時と何が違うのか?違うのは、結婚して家族が増えたということです。
世の中には、家族がいるから会社を辞められないという人もいますが、私の場合は明らかに、一人では独立に向けて動けなかったのが、家族、とりわけ妻がいてくれたことによって勇気を出せるようになったのです。
反対意見は当然
もちろん、あなたの好きなようにしてね、というわけではありませんでした。お前はよくできた嫁さんでいいよな、何て言われますが、私だってそれなりに説得するまでにパワーと時間を費やしたのです。
どうやって家族の承認を得たのか、思い当たる節を少しお伝えしたいと思います。
・変わった姿を見せること
・何も変わらないことを示すこと
・友人の話をすること
順にみていくと、まず私は毎朝4時半に起きて活動することにしました。その頃は転職に向けて、というわけではなく何となく状況を変えたくて行動していただけなのですが、継続していくと家族も、こいつは本気なのだな、と一目置いてみてくれるようになりました。
次に、転職しても何も変わらないよ、ということを伝えていきました。家族がめざす将来像は今の会社の延長にはなく、いったんは少ししゃがむかも知れないけれど、2年だけ我慢してくれないか、そう言い続けました。
そのための条件として、収入面では現状より大幅なダウンはなく生活水準を落とさないことが最低条件でした。そのために、携帯代や通信費などの固定費を見直したり、無駄な契約をしているものはそぎ落としていきました。
通勤時間の変化や有給休暇の兼ね合いで、子供の保育園送り迎えや授業参観等の行事に対する参加率が悪くなってしまったのはありますが、そこまで家族の生活が大きく変わるようなことが起きないように工夫しました。
三つ目が、めざそうとしている人物像は大手企業の部長や役員ではない、若いころから独立している身近な友達であることを伝えました。
独立して10年以上経つ会社経営をしている友人達です。子育てを終え、従業員にある程度仕事を任せて、自身の人生を謳歌していることを伝えたのです。
我々もまだ遅くはない、今から10年頑張っても50代で体も動く。海外旅行やゴルフなど、仕事もしつつ人生やり残したことがないような生活をめざそうと何度も伝えました。
教育で教わったことの真逆を行く
夫婦ともに大学卒となると、小さい頃からそこそこ学業ができて、そこそこの働きもできて、普通の20代よりは遊べて、そんな生活をしてきた夫婦は多いことでしょう。
私たちも夫婦も、まさに大卒同志の典型のような感じで、何不自由なく幼いころから受験、就職、と過ごしてきました。ところがです。40代になると途端に将来のたどり着く道が、あれ、あれ、、私たちこんなはずでは、、、何て思うのです。
周りには早く出世した同僚が出てきて、羨ましくもあり、ストレスにまみれているし、ああはなりたくないと夫婦で話をしたり、出世してある程度の収入が入ってきていたとしても、平日は帰りも遅く、休日も仕事三昧なのはやめてほしい、と言われたり。
大手企業の安定から抜け出すきっかけとして、私の中で一番大きいのは、中卒の幼馴染たちが、子育ても終え、事業も軌道にのって、自由な時間を謳歌しているという現状でした。
正に、金持ち父さん貧乏父さんのリアル版です。
いったん、今まで教わってきたことを白紙にして一からやり直すことに決めました。そして変化をして、家族に話をして、行動して、ようやく認められて晴れて20年勤めた会社を辞めたという感じです。
ただ、独立までの道はこれから。コツコツと努力を続けて目的地にたどり着きたいと思います。